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小さな目標、大きな目標

私の一つの目標として、童謡のような音楽を作る。というのがあります。
子供たちの感性は大人のわたしたちには想像もつかないほど豊かで、子供の頃の体験というのはそのひとつひとつがとても尊いものだと思います。そんな大切な時期に音楽というのはこれからの成長にとても貢献してくれるものだと思います。

だからこそ子供向けの音楽というものは子供たち自身がその意味を問うに値するものを作らなくてはいけないと考えています。これは世のクリエイターには非常に難しい、しかしながら一度は必ず考えるべきテーマだと思います。
初めて自分の作る曲にその曲がもつ意味・意図を問うた時、自分の作り上げてきたものがいかに空虚なものか思い知るのです。

子供たちが心身ともに成長した時、幼い時に歌ったその歌にこめられた意味や意図を改めて考えるでしょう。
また、曲の意味や意図を考えた時に、複雑に構成されたメロディやアレンジは思考を阻害してしまうかもしれません。
シンプルに、しかし、大切に、音を紡ぎ、一つの思いを形にする。

今までの私では難しいことかもしれません、だからこそ毎日探り探りでも学び、そして努力していかなければ。
目標とは小さくても大きくてもそれは変わらず目標だと思います。
毎日小さな目標を胸に、大きな目標に向かっていく。
それこそがいまのわたしの”大きな目標”のための”目標”です。

現代音楽きらい

、というよりは。奇抜なことをしている”ソレ”を現代音楽と呼んでいる状況がすっごくきらい。
“ソレ”は意図もわからない、表情すら見えない、まるでエイリアンとの対話のようだ。

色物を嫌う人種っているけど私自身も実はそうだったのかな?
現代音楽であれ、なんであれ模造品が多すぎる。
私は音楽は聴覚だけで感じ、表現するものではないと思う。

とか何とか言っちゃって。

意味不明な音楽を作るのもこうして批判していくのも
表現の自由があってこそのものですから
作るのもディスるのも自由だね。
押し問答押し問答押し問答。

追記
人間なんだから好き嫌いがあったって普通でしょ?

心の病気なんてない

のっけからSNSとかで発信したら炎上しそうなタイトル。
心の病気なんてものはないです。どこかのハゲが勝手に考えた理屈です。
ほんとよくない。

心の病気なんてものが存在する要因として、一番なにがよくないって医者が良くない。
なにかにつけて病名をつけて「あなたは~~~病の可能性がありますね~」……って洗脳か!
私は過去に某県の大学病院で「心の病気欲張りセットか?」ってくらい適当な病名セレクションをいただいたものですが、その内容があまりにひどいから「そうなんですか、それじゃあ今日は美味しいモノでも食べて好きな映画とか見て早めに寝ますかね~!」って答えました。
(そのようなポンコツにかかることになった経緯は聞かないでおいて。)

ほんとは病気でもなんでもないです。
他の体調的要因や自分を取り巻く環境の影響が悪さをして「なんだかうまくいかない」という状況を作ってしまってるだけです。ほんのすこし人と同じことができない、人より変わっているっていう特別な人達を勝手に病人扱いしてるけど人間生きてればそんなことばっかりですよね。
それって病気って言えますか。

適当な名前つけて病気ってことにしたらそれで安心すると思ってんでしょうね。
安心してたら死人は出てないよあんた。
どうせ安心させるなら病人扱いなんてするな。

あとはたいていの人間アホ問題。
「わたし」と「あなた」じゃ育ってきた環境も外見もなんなら性別もなにもかもがまるで違う。みんな違うのに誰かが勝手に思ってる「普通」を求める人間が多いものだから「普通じゃない」人が出てきちゃうんだよ。「あなたはどうしてみんなと同じこと、普通ができないの?」っていうアホ人間いますよね。
どうぞ無視してください。

とはいえ、問題を避けてみんながみんな山奥にひっそり孤独に暮らすには土地が狭すぎますから必然的に基準となる「普通」というものが必要ではあります。問題はそこに縛られすぎて前述したような普通ができないやつは変なんだ、自分はダメな人間なんだ。という風に考えるボケナスがいることです。

あの人は自分とは違うのだから同じことが出来なくたって仕方ない。
出来るような手助けをしてあげようとか、できることをやらせてあげよう。だとか世間がもっと考え方を改めないからどんどん良くない方向(詐欺師を潤わせるような)に行っているのです。
これはもうどうしようもないほどに修正不可能な状態なので個人レベルで意識改革してください(投げやり)
いい意味で自分中心の考え方をもって生きていくと「自分」と「それ以外」という認識が強まるような気がしないでもないので、ほどよくそういう生き方をしてくれればいいと思います。

集団意識っていうのはたいていの場合がよくない方向にしか向かわないので、秩序のためにケースバイケースで意識を切り替えるとしても本質的な部分では孤立した状態でいる方がよい。

とりあえず。
心療内科とかいう職業で詐欺行為を働いている人がいたら悔い改めてどうぞ。
なお、「心」の病気と「神経」系の病気は似ているようでいて全然別なので一緒くたにできません。
予めご注意ください。

 

ゲ*ケア

日本人というのはどうしてこうも”非”対面のコミュニケーションツールにおいて個人の思想を周囲にぶちまけがちなのか…内容の良し悪しに関わらずただのエゴにしか感じない。twitterやFacebookはゲロ吐き場ではないぞ。すっきりしたくば日記でも買って人知れずひっそりと書いてな。

…かくいうわたしもこうして私感をつらつらと書いてしまっている。
こんなところでしか声を上げることができないから、ということもないと思うが。
悲しい。

芸術家にとっての作品とは

今回は珍しく人の悪口を言わない記事です。

芸術家にとっての作品とは、自分の生き写しのようなもので、自分とかけ離れすぎていればいるほど出来上がった作品にもどこか矛盾を感じてしまうものになるのかな、と考えさせられることが多くなりました。うれしい時にうれしい気持ちを、かなしい時にかなしい気持ちを。素直な思い(見たもの、感じたもの)をそのまま表現できれば、見た、聴いた人に届くのではないかな。

知識、技術がまるでなくても、これまでの人生で感性を豊かに育ててきた人の作品はそこに人のぬくもりを感じられる。大切な人との時間や経験であったり、何気ない日々の中で心動かされた瞬間、その時感じたすべての感覚。そういったものを少しずつでもいいので作品を通して表現できればと思います。

春M3おつかれさまでした。

大変遅くなりましたがサークル参加、一般参加でご来場の方々、お疲れさまでした。
弊サークルは様々な方のサポートを受けながらどうにか無事当日を迎え、
また、多くの方々に手に取っていただきイベントを終えることができました。
このような場ではありますが深く感謝申し上げます。

頒布作品については自分の趣味全開で作っているので1人でも
手に取っていただけることができれば参加した甲斐はあるかな、
と思ってましたのでいい意味で期待を裏切られました。

ブースのデザインについては花さん(@puppet_type)にお願いしたのですが、
表現したかった世界観にテイストを合わせていただいたのですごくよかったです。
しかも売り子さんとしても頑張っていただきました。感謝
(人見知り故のサポートサイドの身内固めは常套)
一瞬私がブースに鎮座してたのですが普段から顔色が悪いのと目つきがチベスナすぎて人が寄り付かない傾向があったのでおそらく番をすることはないでしょう。お手数ではありますが次回以降に御用の方はお呼び出し下さい。

今回はサークル初参加だったこともあり、気持ち的に
他サークルさんのブースに立ち寄る余裕がなかったので
次回参加時にはお世話になっている方への挨拶もかねて
見回りたいとは思っています。

今後ともしばいぬカレーともどもCitrusGardenを
よろしくお願いいたします。

よそはよそ、うちはうち

「よそはよそ、うちはうち」
この言葉、子供の頃よくおかんに言われてた。
それこそ子供の頃はその言葉の裏の意味まで考えられるほど人生経験をしていないですからただひたすらに「なんでじゃー」となるわけですが。
ある程度脳みそが大人になってきてようやく込められた意味まで理解できるようになったと思います。

それは周囲の環境、他人と自分を比較しないこと。

周りはうまくやってるのになんで自分はできないんだ!
自分はこのくらいはできるんだから同じことをやれ!
人間、ひとりひとり違うのだからいいところも悪いところもみんな違うわけです。
社会に出てみるとそんなことばっかりで知らず知らずに他人に誰かと同じことを求めてしまうものですけどその人にはその人のよい部分があるのだから、そこを見つけて活かしてあげることが大事だと思います。誰かの尺度、一つのものさしで物事を決めて、強要してしまうのは誰も幸せにはなれない。

 

自分が書くのもおこがましいことだが、周囲のことはあまり気にせず自分はこう!というものを貫いてほんの少しマイペースな生き方をするだけでも不必要なストレスから解放されて生きやすくなると思います。

 

ただし、

周りを気にしないといってももちろん常識的な範囲で。というのはありますから明確な”ルール”や”マナー”はいつ何時でも忘れてはいけないですよ…

ネットでは顔貌がみえない分、現実味が薄くなるのでどうしてもマナーの部分は弱くなりがちです。。
これは常に気を付けていたいところ。

私的音楽考察①

私はゲーム音楽から音楽始めたような人間ですが、ゲーム音楽から転じて民族音楽大好き人間となりました。特にアイリッシュ、ケルティック、ロマなどで演奏されてきた音楽が大好きです。逆にガムランとか西アジア系の音楽は理解が浅いですが、まぁ聞いたり、研究したりはしています。
研究というと音のみにフォーカスして追求しがちなのですが、なぜこれらの楽器を使うのか、なぜこの音階なのか、どのようなリズムで演奏されるのか、など歴史的、民族的な観点から深く調べてみると、どのような理由でその土地の音楽が形成されているのか。ということが分かってきます。

考察ですがケルトの音楽に三拍子のリズムが多いのはその地方で3は神聖な数字として伝わっているので音楽に関しても3拍子を用いた曲が多いのではないか?とか。宗教音楽なども思想や信仰に基づいて作らされるわけですから、その音にはかならず意味があるものだと思います。

“意味のある音楽”というのはジャンルレスで学ぶことが多く、とにかく耳から入ってくる刺激だけで拒絶しないように、と。サウンドに関してはえり好みせず聴くようにしています。(どうしたって人間だから好みはあるけどね…)逆に作曲者の意図が分からん曲というのはどうしても内側まで取り込むことが出来なくて、ひたすら外側で鳴ってるだけ、という感じなのでサウンドが好みでもダメだーーーーということだってあります。…文才がないので表現が難しい。とにかく苦手なタイプの曲です。

民族音楽の要素だけ引っこ抜いて作られた曲は薄っぺらいから聴かないぜ!ってわけではないですけど、そこまで研究された方、思いを込めた音楽のほうがどうしても説得力があるように感じるのはたしかです。研究したからと言ってすぐさま現地で演奏されるような説得力ある曲が作れるわけではないと思いますが知らないよりは知っていた方がいいはずです。

私の師匠が言っていたことですが「音楽は技術ではなく表現だ」と使われる音にはどのような思いが隠されているのか。どのような背景から生まれるのか。いい音楽を作るためにはいい経験をすること。
とりあえず自分の場合は実際に現地に行くことからですね…

意味のある音楽はいつまでも色あせないと思います。

P.s 師匠から学んだのは主にゲーム制作についてで音楽のことを学んだのは、ほんのすこ~しですわ…

音楽ってさぁ

ふと考えたんですけど。自分の場合、曲を作ろうと思ったとき、迷いなく民族楽器や古楽器などのセレクトをするんですけど、これ固定観念によるものとしか思えないですよね。ファンタジーな世界観を作り上げるのに必ずしもアコースティックな楽器を使わなければいけないなんてことないのにどうなんだろう、と自分ながらに思った。

そもそも実在する楽器を使ってる時点で空想。幻想。という部分で見ればうーん…??という感じするし。こんな音、現実では聴いたことない!、っていう方がよほどファンタジーでわ?
出せる音のバリエーションを考えれば圧倒的にシンセサイザーの方が幅が効きますし。かといって、感情を強く表現したいケースなどはシンセサイザーのサウンドよりは生楽器本来のダイナミクスというものがうまくマッチすることが多いのはたしかですし、結局は曲が必要としている音を使ってあげるのが正解なんでしょうね。

ただ、ファンタジーな世界観を形成するならやはり民族楽器/古楽器だけだ!みたいな固定概念は捨てて、そこはむしろこだわりすぎずに作らないといずれどこかで破綻してしまうだろうな、と感じました。
音楽は技術や常識じゃ測れない、語れない。そういうものだと思ってます。
誰かが決めた禁則事項なんて気にするな!って自分に訴えかける。そんな時もたくさんあります。

難しいんだよ、表現という行為は。

 

 

P.s 我ながら今日の記事は大変丁寧なお言葉遣いで偉いな。と思った。

やっぱりだめだー

打ち込みの音が馴染まない…もう何種類のCC(コントロールチェンジ)を書いたかわからないレベルで調整かけてるけどどうしても耳が受け付けてくれない。。各種コントロールで音色やダイナミクスを調整してもどうしてか音そのものであったり流れ的に固い印象が抜けきらないっすねー。リズムはガチガチにクオンタイズかけてるせいだと思うので今度からその辺も考慮して進めてきたいと思います。今回はそんなところから見直してたら時間がいくらあっても足らない…ある程度音源にお金をかけてうまいことプログラムに追従する製品を揃えるのは悪いことではないのかもしれないと感じました。

とりあえず悔しいから引き続き追い込んできます。

追記
こういう時、YAMAHAの防音室レンタルが気になって仕方がなくなる。