昔みたドラマで言ってた

仕事や学校に疲れた時、ストレスを感じる、日々を生きるのが辛い。
そんな時、人に頼ることは決して恥ではない。

私自身「いかなる時にでも他人に頼らず自分自身で乗り越えることこそがその後の人生を変えていく力になる」と思い、すべてを自己責任と考えて極力人に頼らずに生きてきました。
身近な知人、友人、恋人、家族。悩みを打ち明ければ気分転換に連れ出してくれる、親身になって話を聞いてくれる、安心するまで傍についていてくれる。
あなたの身近な人が苦しんいる時も、そうして再び歩き出す手助けをしてあげる。
人は一人では生きられない、人間は傷つけあうこともあるからこそ助け合って生きていくことを特に考えなくてはなりません。自分ひとりで乗り越えられる試練の大きさには限界がある、試練を受けすぎた人は壊れてしまう。

「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」

人間を想像した神は決して人を救わない。
あなたを救ってくれる神は身近なところにいるのです。

神=しばいぬカレーのありがたいお言葉

聖書にはこうある。

「主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな」

どういったことが書かれているか。
人の命は神から与えられるものであり、その命は神の手により還る。
というような事かと思います。

(また胡散臭いことかいてるなー、と思っても最後まで読んでおくれやす。)

最近、学生をはじめ、若者の自殺に関するニュースをよく目にしまして、
色々と考えることもありましたのでそれについてひとつ、
冒頭で触れた聖書に記された事を交えて自分なりにまとめてみます。

えー、聖書によれば命は神が授けたもう大変ありがたく尊いものであり
自殺は命を与えてくれた神に対する反逆、挑戦だぞこの野郎!ということみたいです。
そんなこと言われたって信仰心のない人からしたら全然関係ないですよね。
暴論かな?とも思ってしまう人も多そう。

それで、、私なりに聖書を通じて学んだことから思ったのは神様云々は別として。
あなたが自ら命を絶つことで、あなたを産んでくれた親御さんや
あなたの友人や恋人、身近な人の心に大きな、それこそ癒えることのない傷を
残していくことになります。

だれも初めから死のうとする人なんていませんから
理解されない、相談できない。すごく苦しんだからこそ最後にそれを選んでしまったのでしょう。
でも。あなたの苦しみを他の誰かにも味わせることに意味はありますか?
自分が苦しいからと言って他人を苦しめることこそが罪だと感じます。
時代や文化、考え方に差異はあれど聖書に書かれていることは間違いではない。

正直わたしの同世代でも聖書など読んだことない!
という方は多かったのですが若者にこそ一度でいいので
聖書を読んでキリストの死生観というものを感じて欲しいと願います。
聖書を読んで何を感じるか(何も感じないかもしれない)
人それぞれだと思います。それでもあなたが死にたいほど辛くなった時、
思い出す言葉があるならば踏みとどまることが、変わることが出来るかもしれません。

人生のあらゆる出来事は可能性によって成り立っています。
あの時、ああしていれば。が後に大きな変化をもたらすことがあるのです。
聖書を読むことによって未来の自分を救うこともあったって不思議じゃない。

信仰心なんてものは必要ないです。
考え方を広げる。という意味で”聖書”を読んでみませんか?

頼るもの、すがるものがない状況だからこそ誰にも相談できず
自ら命を絶ってしまう。もしもの時の神頼みというのは
案外頼りになるかもしれませんよ。

p.s
あくまで「神はなにもしない」ものですから最後は
自分で決めるしかないのです。それこそが神の与えた試練なのでしょう。