才能の人

HIKAKINさんの「200円の定食を4年間食べ続けた話」というコラムを
今になって読み、月並みな感想しか出ない自分が恥ずかしいのですが
「ストイックだ!!」と感じました。

私はHIKAKINさん、正直名前を知っているくらいで
動画も見たこともなく、どういう人かも知りません。
非常にニュートラルな状態でコラムを読んだ感想です。

コラムの内容については各人で調べていただきたいのですが
夢をもって日々生きている方には一度、読んで欲しい、知ってほしい内容でした。
半端な気持ちでは夢は実現できないことを体現したような方です。

夢に向かって頑張っている人はたくさんいますが
過酷な環境におかれてまで夢を追い続けられる人は
多くはないと思います。
羽生名人も仰ってたような記憶がありますが他の人が
出来ないことをただひたすらに続ける。それこそが才能だと。
彼はまさに才能の人です。

思えば昔、音楽の道でもって生きていくことを考え、
日々を過ごしていた自分はそこまでの努力はしていませんでした。
今、私が彼と同じ場所いない理由とはそういうことなのだと思います。

今、充実した毎日を送っている人はそれまでの人生で
必ず大きな苦労を経験している、苦労の中でもあきらめず努力をしてきた。
そんな人たちなのでしょう。

ここのところ疑問に思う事や憤りを感じるようなことばかりでしたが
久々にいい話を聞き自分にとってもよい勉強となりました。
過ぎてしまった時間は取り戻すことは出来ませんので
これからの人生に活かしていくように努力するのみです。

 

今回の記事は悪口ばかり言うわたしのブログでは
大変希少な内容とあいなりました。
それでは。

先出し精神

あれほど嫌っていた曲の制作進捗を先んじて
公開してしまったことを今になって後悔しています。予想はついてましたけど。
(公開だけに!?
自分以外の作品に関しては進捗の報告で進み具合なりを目で見て耳で聴けるのは完成が楽しみに思えるしワクワクでいっぱいなのだが、こと自分に関しては必ず完成した時に初めてお披露目したい。

 
未完成の状態がすでに完成している、というケースもある。
完成に向かうことでよくもなれば悪くもなると思うので作品は必ず「これでおしまい!」という状態。もし、それで失敗をしてしまっても「失敗したなぁ~」という経験は次に活かしていける。
Animaのトラック、再レコしてぇ~~~~~(馬鹿

昔みたドラマで言ってた

仕事や学校に疲れた時、ストレスを感じる、日々を生きるのが辛い。
そんな時、人に頼ることは決して恥ではない。

私自身「いかなる時にでも他人に頼らず自分自身で乗り越えることこそがその後の人生を変えていく力になる」と思い、すべてを自己責任と考えて極力人に頼らずに生きてきました。
身近な知人、友人、恋人、家族。悩みを打ち明ければ気分転換に連れ出してくれる、親身になって話を聞いてくれる、安心するまで傍についていてくれる。
あなたの身近な人が苦しんいる時も、そうして再び歩き出す手助けをしてあげる。
人は一人では生きられない、人間は傷つけあうこともあるからこそ助け合って生きていくことを特に考えなくてはなりません。自分ひとりで乗り越えられる試練の大きさには限界がある、試練を受けすぎた人は壊れてしまう。

「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」

人間を想像した神は決して人を救わない。
あなたを救ってくれる神は身近なところにいるのです。

神=しばいぬカレーのありがたいお言葉

聖書にはこうある。

「主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな」

どういったことが書かれているか。
人の命は神から与えられるものであり、その命は神の手により還る。
というような事かと思います。

(また胡散臭いことかいてるなー、と思っても最後まで読んでおくれやす。)

最近、学生をはじめ、若者の自殺に関するニュースをよく目にしまして、
色々と考えることもありましたのでそれについてひとつ、
冒頭で触れた聖書に記された事を交えて自分なりにまとめてみます。

えー、聖書によれば命は神が授けたもう大変ありがたく尊いものであり
自殺は命を与えてくれた神に対する反逆、挑戦だぞこの野郎!ということみたいです。
そんなこと言われたって信仰心のない人からしたら全然関係ないですよね。
暴論かな?とも思ってしまう人も多そう。

それで、、私なりに聖書を通じて学んだことから思ったのは神様云々は別として。
あなたが自ら命を絶つことで、あなたを産んでくれた親御さんや
あなたの友人や恋人、身近な人の心に大きな、それこそ癒えることのない傷を
残していくことになります。

だれも初めから死のうとする人なんていませんから
理解されない、相談できない。すごく苦しんだからこそ最後にそれを選んでしまったのでしょう。
でも。あなたの苦しみを他の誰かにも味わせることに意味はありますか?
自分が苦しいからと言って他人を苦しめることこそが罪だと感じます。
時代や文化、考え方に差異はあれど聖書に書かれていることは間違いではない。

正直わたしの同世代でも聖書など読んだことない!
という方は多かったのですが若者にこそ一度でいいので
聖書を読んでキリストの死生観というものを感じて欲しいと願います。
聖書を読んで何を感じるか(何も感じないかもしれない)
人それぞれだと思います。それでもあなたが死にたいほど辛くなった時、
思い出す言葉があるならば踏みとどまることが、変わることが出来るかもしれません。

人生のあらゆる出来事は可能性によって成り立っています。
あの時、ああしていれば。が後に大きな変化をもたらすことがあるのです。
聖書を読むことによって未来の自分を救うこともあったって不思議じゃない。

信仰心なんてものは必要ないです。
考え方を広げる。という意味で”聖書”を読んでみませんか?

頼るもの、すがるものがない状況だからこそ誰にも相談できず
自ら命を絶ってしまう。もしもの時の神頼みというのは
案外頼りになるかもしれませんよ。

p.s
あくまで「神はなにもしない」ものですから最後は
自分で決めるしかないのです。それこそが神の与えた試練なのでしょう。

 

インターネット芸人

何をいまさら、ということなんですが…
街中を見ても、移動中のバス・電車を見ても
皆さんせっせとスマートフォンやタブレット、ノートパソコンなどで
インターネットを楽しんでいますよね。

かくいう自分もその一人であったため、それはきわめて自然な光景なのですが、
ある日、ちょっとした用事で出かけたときにスマホを自宅に忘れてきて手持無沙汰、という具合に
なにもすることがなく電車内でいつも通りの光景を見ていてたのですが、
しばらく見ているうちにどうも異常な光景に感じました。
インターネットという鎖に繋がれ、自由を奪われているようにさえ見えました。

そのとき思ったのが「インターネット離れ」をしよう。ということです。
“完全に断つ”というよりは自分の”インターネット依存”の生活を矯正していこうという考えです。
とはいえ、業務に差支えが出るので就業中のインターネット利用は致し方ありません。
ですがそれを理由に個人的な利用をするつもりもありません。

いきなりがっつり利用時間を減らすのはストレスやリバウンドがありますし
最初に思い立って始めたのが、起床後2時間、就寝前2時間は
10分以上のインターネット利用をしない。ということ。
前述した内容を始めて3,4日ということと、限定的に制限しているに過ぎないので
大きな効果は感じないのですが、なれてきたら範囲を広げて
利用時間を減らしていければと思います。

具体的な目標としては一日の利用時間を睡眠時間を除いた
残りの時間においてインターネット利用の割合を1割以下にすることです。
一日7時間の睡眠をとるとして、残りが17時間。
17時間=1020分×0.1が102分なので
大体一時間半くらいです。

これが短いと感じるか、長いと感じるか。
現時点で数値をみるに、そんなん無理やん?って印象です。
この記事を見ている方はどうでしょうか?
公共機関の情報を調べたりだとか、お天気情報を調べたりだとか
娯楽以外での利用もありますからなかなか難しそうですよね。

ですが、元々インターネットのない環境で育ってきたわけですし
その頃は特別なにも困ってなかったと思います。
災害発生時など特別な場合以外では利用は必須と言える状況は少ないと感じます。

便利な反面、弊害も多く感じられるインターネット、
食事と一緒でバランスよく利用しなければ
害を成すことになります。

人の一生における時間は限られています。
心と身体の健康、心身ともに充実した日々を過ごすためには
常に考えること、行動することが重要となるでしょう。

追記:この記事を書くのに47分というわたしの時間を消費しましたが、それが有意義な時間の使い方であったのか、あるいはただの時間の浪費にしかすぎなかったかどうか、という部分では疑問です。今の時点では。

電子ドラッグ”??”

IT関連の仕事やってる人の言うことではないかもしれないけど…
インターネットが人の心を壊してしまう。ということは
往々にしてあることなのでなるべくなら使わずに置きたいっすね。

それに…長く浸りすぎると内向きになってしまうような気がするのです。
生活スタイルの話ではなく心持ちが、、ね。

追伸、仕事が落ち着いたら、今度こそスパイスから作る
オリジナルカレーを作ろうと思います。

それじゃ、また。

公開自殺的な

今巷では自分で投げたブーメランが突き刺さって死ぬ人が多発しています。
他人の事を言う前にまず、自分の身の振り方を再確認するとそのようなこともないかと存じます。
-SNSに余計なことを書くな。

さて、今年は梅雨明けが遅く、連日天候の不安定な日となっておりましたが、
沖縄、東日本と梅雨が明けて、今週中頃からようやく関東地方も梅雨が明けました。
今年も暑い日が続くかと思いますので皆さまどうぞお身体には気を付けて。

秋のM3会場で会いましょう。
それでは、また。

小さな目標、大きな目標

私の一つの目標として、童謡のような音楽を作る。というのがあります。
子供たちの感性は大人のわたしたちには想像もつかないほど豊かで、子供の頃の体験というのはそのひとつひとつがとても尊いものだと思います。そんな大切な時期に音楽というのはこれからの成長にとても貢献してくれるものだと思います。

だからこそ子供向けの音楽というものは子供たち自身がその意味を問うに値するものを作らなくてはいけないと考えています。これは世のクリエイターには非常に難しい、しかしながら一度は必ず考えるべきテーマだと思います。
初めて自分の作る曲にその曲がもつ意味・意図を問うた時、自分の作り上げてきたものがいかに空虚なものか思い知るのです。

子供たちが心身ともに成長した時、幼い時に歌ったその歌にこめられた意味や意図を改めて考えるでしょう。
また、曲の意味や意図を考えた時に、複雑に構成されたメロディやアレンジは思考を阻害してしまうかもしれません。
シンプルに、しかし、大切に、音を紡ぎ、一つの思いを形にする。

今までの私では難しいことかもしれません、だからこそ毎日探り探りでも学び、そして努力していかなければ。
目標とは小さくても大きくてもそれは変わらず目標だと思います。
毎日小さな目標を胸に、大きな目標に向かっていく。
それこそがいまのわたしの”大きな目標”のための”目標”です。