ゲ*ケア

日本人というのはどうしてこうも”非”対面のコミュニケーションツールにおいて個人の思想を周囲にぶちまけがちなのか…内容の良し悪しに関わらずただのエゴにしか感じない。twitterやFacebookはゲロ吐き場ではないぞ。すっきりしたくば日記でも買って人知れずひっそりと書いてな。

…かくいうわたしもこうして私感をつらつらと書いてしまっている。
こんなところでしか声を上げることができないから、ということもないと思うが。
悲しい。

芸術家にとっての作品とは

今回は珍しく人の悪口を言わない記事です。

芸術家にとっての作品とは、自分の生き写しのようなもので、自分とかけ離れすぎていればいるほど出来上がった作品にもどこか矛盾を感じてしまうものになるのかな、と考えさせられることが多くなりました。うれしい時にうれしい気持ちを、かなしい時にかなしい気持ちを。素直な思い(見たもの、感じたもの)をそのまま表現できれば、見た、聴いた人に届くのではないかな。

知識、技術がまるでなくても、これまでの人生で感性を豊かに育ててきた人の作品はそこに人のぬくもりを感じられる。大切な人との時間や経験であったり、何気ない日々の中で心動かされた瞬間、その時感じたすべての感覚。そういったものを少しずつでもいいので作品を通して表現できればと思います。

春M3おつかれさまでした。

大変遅くなりましたがサークル参加、一般参加でご来場の方々、お疲れさまでした。
弊サークルは様々な方のサポートを受けながらどうにか無事当日を迎え、
また、多くの方々に手に取っていただきイベントを終えることができました。
このような場ではありますが深く感謝申し上げます。

頒布作品については自分の趣味全開で作っているので1人でも
手に取っていただけることができれば参加した甲斐はあるかな、
と思ってましたのでいい意味で期待を裏切られました。

ブースのデザインについては花さん(@puppet_type)にお願いしたのですが、
表現したかった世界観にテイストを合わせていただいたのですごくよかったです。
しかも売り子さんとしても頑張っていただきました。感謝
(人見知り故のサポートサイドの身内固めは常套)
一瞬私がブースに鎮座してたのですが普段から顔色が悪いのと目つきがチベスナすぎて人が寄り付かない傾向があったのでおそらく番をすることはないでしょう。お手数ではありますが次回以降に御用の方はお呼び出し下さい。

今回はサークル初参加だったこともあり、気持ち的に
他サークルさんのブースに立ち寄る余裕がなかったので
次回参加時にはお世話になっている方への挨拶もかねて
見回りたいとは思っています。

今後ともしばいぬカレーともどもCitrusGardenを
よろしくお願いいたします。

よそはよそ、うちはうち

「よそはよそ、うちはうち」
この言葉、子供の頃よくおかんに言われてた。
それこそ子供の頃はその言葉の裏の意味まで考えられるほど人生経験をしていないですからただひたすらに「なんでじゃー」となるわけですが。
ある程度脳みそが大人になってきてようやく込められた意味まで理解できるようになったと思います。

それは周囲の環境、他人と自分を比較しないこと。

周りはうまくやってるのになんで自分はできないんだ!
自分はこのくらいはできるんだから同じことをやれ!
人間、ひとりひとり違うのだからいいところも悪いところもみんな違うわけです。
社会に出てみるとそんなことばっかりで知らず知らずに他人に誰かと同じことを求めてしまうものですけどその人にはその人のよい部分があるのだから、そこを見つけて活かしてあげることが大事だと思います。誰かの尺度、一つのものさしで物事を決めて、強要してしまうのは誰も幸せにはなれない。

 

自分が書くのもおこがましいことだが、周囲のことはあまり気にせず自分はこう!というものを貫いてほんの少しマイペースな生き方をするだけでも不必要なストレスから解放されて生きやすくなると思います。

 

ただし、

周りを気にしないといってももちろん常識的な範囲で。というのはありますから明確な”ルール”や”マナー”はいつ何時でも忘れてはいけないですよ…

ネットでは顔貌がみえない分、現実味が薄くなるのでどうしてもマナーの部分は弱くなりがちです。。
これは常に気を付けていたいところ。

私的音楽考察①

私はゲーム音楽から音楽始めたような人間ですが、ゲーム音楽から転じて民族音楽大好き人間となりました。特にアイリッシュ、ケルティック、ロマなどで演奏されてきた音楽が大好きです。逆にガムランとか西アジア系の音楽は理解が浅いですが、まぁ聞いたり、研究したりはしています。
研究というと音のみにフォーカスして追求しがちなのですが、なぜこれらの楽器を使うのか、なぜこの音階なのか、どのようなリズムで演奏されるのか、など歴史的、民族的な観点から深く調べてみると、どのような理由でその土地の音楽が形成されているのか。ということが分かってきます。

考察ですがケルトの音楽に三拍子のリズムが多いのはその地方で3は神聖な数字として伝わっているので音楽に関しても3拍子を用いた曲が多いのではないか?とか。宗教音楽なども思想や信仰に基づいて作らされるわけですから、その音にはかならず意味があるものだと思います。

“意味のある音楽”というのはジャンルレスで学ぶことが多く、とにかく耳から入ってくる刺激だけで拒絶しないように、と。サウンドに関してはえり好みせず聴くようにしています。(どうしたって人間だから好みはあるけどね…)逆に作曲者の意図が分からん曲というのはどうしても内側まで取り込むことが出来なくて、ひたすら外側で鳴ってるだけ、という感じなのでサウンドが好みでもダメだーーーーということだってあります。…文才がないので表現が難しい。とにかく苦手なタイプの曲です。

民族音楽の要素だけ引っこ抜いて作られた曲は薄っぺらいから聴かないぜ!ってわけではないですけど、そこまで研究された方、思いを込めた音楽のほうがどうしても説得力があるように感じるのはたしかです。研究したからと言ってすぐさま現地で演奏されるような説得力ある曲が作れるわけではないと思いますが知らないよりは知っていた方がいいはずです。

私の師匠が言っていたことですが「音楽は技術ではなく表現だ」と使われる音にはどのような思いが隠されているのか。どのような背景から生まれるのか。いい音楽を作るためにはいい経験をすること。
とりあえず自分の場合は実際に現地に行くことからですね…

意味のある音楽はいつまでも色あせないと思います。

P.s 師匠から学んだのは主にゲーム制作についてで音楽のことを学んだのは、ほんのすこ~しですわ…

音楽ってさぁ

ふと考えたんですけど。自分の場合、曲を作ろうと思ったとき、迷いなく民族楽器や古楽器などのセレクトをするんですけど、これ固定観念によるものとしか思えないですよね。ファンタジーな世界観を作り上げるのに必ずしもアコースティックな楽器を使わなければいけないなんてことないのにどうなんだろう、と自分ながらに思った。

そもそも実在する楽器を使ってる時点で空想。幻想。という部分で見ればうーん…??という感じするし。こんな音、現実では聴いたことない!、っていう方がよほどファンタジーでわ?
出せる音のバリエーションを考えれば圧倒的にシンセサイザーの方が幅が効きますし。かといって、感情を強く表現したいケースなどはシンセサイザーのサウンドよりは生楽器本来のダイナミクスというものがうまくマッチすることが多いのはたしかですし、結局は曲が必要としている音を使ってあげるのが正解なんでしょうね。

ただ、ファンタジーな世界観を形成するならやはり民族楽器/古楽器だけだ!みたいな固定概念は捨てて、そこはむしろこだわりすぎずに作らないといずれどこかで破綻してしまうだろうな、と感じました。
音楽は技術や常識じゃ測れない、語れない。そういうものだと思ってます。
誰かが決めた禁則事項なんて気にするな!って自分に訴えかける。そんな時もたくさんあります。

難しいんだよ、表現という行為は。

 

 

P.s 我ながら今日の記事は大変丁寧なお言葉遣いで偉いな。と思った。

やっぱりだめだー

打ち込みの音が馴染まない…もう何種類のCC(コントロールチェンジ)を書いたかわからないレベルで調整かけてるけどどうしても耳が受け付けてくれない。。各種コントロールで音色やダイナミクスを調整してもどうしてか音そのものであったり流れ的に固い印象が抜けきらないっすねー。リズムはガチガチにクオンタイズかけてるせいだと思うので今度からその辺も考慮して進めてきたいと思います。今回はそんなところから見直してたら時間がいくらあっても足らない…ある程度音源にお金をかけてうまいことプログラムに追従する製品を揃えるのは悪いことではないのかもしれないと感じました。

とりあえず悔しいから引き続き追い込んできます。

追記
こういう時、YAMAHAの防音室レンタルが気になって仕方がなくなる。

音楽に実はプロもアマも関係ないという事実

音楽って好きにやったらいかんのかね?
だれもそんなこと聞いてないだろ?ってことをアドバイスしてるつもりなのかなんなのかわからん事を言ってる輩をよく見ます。自分の音楽観や理論を持ち出して一方的に押し付けてくる奴はほんとにしょうもない。求められたときにするのがアドバイスだが、求められたないのに語り始めるのはただの押し付けでしかない。

音楽やってて~~はだめだ?~~をしなきゃいけない?とか言ってるバカ。
こういうのがいるから一般的な音楽に対しての印象として作曲ないし音楽やるのってなんか敷居が高いな~、怖いな~(なぜかINGW風)って思うんじゃないの。
どういう風にやろうが各々の自由だし成長したいと思う人間は自ら気づいていくものなのだからわざわざありがたいお言葉をいただく必要なんてございません。

どんなに素晴らしい音楽を作ってても人間がだめなようじゃだめじゃん。
ほんとにしょうもない。今自分がいる立っているその場所が指す意味は自分の音楽が世間に受け入れられたか、はたまた受け入れられなかったか、たったそれだけ。

突如襲来!ネット界の害虫

朝からちょっと思うことがあり、書きます。

認知外からの攻撃から受けるストレスについて。
ネットって顔が見えなくて匿名性も高いせいか発言に責任が伴ってない事が多く、何の気なしに人を傷つけたりする事をいってしまう人が非常に多い。
ことSNS、放送サービス関連ではよく散見されています。

面識のない人間からいいことわるいことひっくるめ、あれやこれやと言われるわけです。
良いことだけなら担ぎ上げられてるわけなので非常に愉快なものですけど悪いこともあるわけですよ。悪いことって友人・知人から言われるならまだしも、誰かもわからん奴にいわれるとそれだけでストレスだよね。日本人の性質なのか直接対面しているときにはズバッとしたことは言わない傾向があり、その反動かネットでは平気で傷つけられるようなことを言うカスが多い。
あとは、発言した当人は別段悪いと思っていなくても受け取った側で不快に思う、ということが一番多いかなぁ…

私も昔は現実だと極度のコミュ障(というか人間嫌い)でネットではわりと幅を利かせてた(?)タイプの人間だったので割とネット上での繋がりなんかは広げようとかよく考えてたものなんですけど、最近は前述したような理由で、ネット先で交友関係を持つ場合は企画を通じて知り合う、だとか友人の紹介で知り合う。というようなケース以外ではまるっきり遮断してます。
一例ではあるけどtwitterのフォローフォロワーの関係は友達でもなんでもなく、名刺の交換以下のやりとりだと思う。何度かお会いしてお話してその人の人となりというものが感じられるようになってきてやっと関りが持てたかな、と感じてます。
例外はなく、多くの人にとって害のある存在でない場合であっても、どんな人なのかもわからない間は自分にとっての害に代わるともわからないわけなので極力干渉は避けるよう意識してます。

友達でも何でもない関係だから失礼なことを言っていい。ということじゃないよぉ~
友達ではないからこそ適切な距離感が大事ってことね。
こうやって記事を書くのも、ただひとしきり思ったことを書き綴ってそれ自体に満足するのでなく、たまに見返してやると自己啓発ということではないけど、自分も誰かにとっての害になっていないか?と一度冷静になることができるので割と自分の為にもなっていたり。