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音楽ってさぁ

ふと考えたんですけど。自分の場合、曲を作ろうと思ったとき、迷いなく民族楽器や古楽器などのセレクトをするんですけど、これ固定観念によるものとしか思えないですよね。ファンタジーな世界観を作り上げるのに必ずしもアコースティックな楽器を使わなければいけないなんてことないのにどうなんだろう、と自分ながらに思った。

そもそも実在する楽器を使ってる時点で空想。幻想。という部分で見ればうーん…??という感じするし。こんな音、現実では聴いたことない!、っていう方がよほどファンタジーでわ?
出せる音のバリエーションを考えれば圧倒的にシンセサイザーの方が幅が効きますし。かといって、感情を強く表現したいケースなどはシンセサイザーのサウンドよりは生楽器本来のダイナミクスというものがうまくマッチすることが多いのはたしかですし、結局は曲が必要としている音を使ってあげるのが正解なんでしょうね。

ただ、ファンタジーな世界観を形成するならやはり民族楽器/古楽器だけだ!みたいな固定概念は捨てて、そこはむしろこだわりすぎずに作らないといずれどこかで破綻してしまうだろうな、と感じました。
音楽は技術や常識じゃ測れない、語れない。そういうものだと思ってます。
誰かが決めた禁則事項なんて気にするな!って自分に訴えかける。そんな時もたくさんあります。

難しいんだよ、表現という行為は。

 

 

P.s 我ながら今日の記事は大変丁寧なお言葉遣いで偉いな。と思った。

やっぱりだめだー

打ち込みの音が馴染まない…もう何種類のCC(コントロールチェンジ)を書いたかわからないレベルで調整かけてるけどどうしても耳が受け付けてくれない。。各種コントロールで音色やダイナミクスを調整してもどうしてか音そのものであったり流れ的に固い印象が抜けきらないっすねー。リズムはガチガチにクオンタイズかけてるせいだと思うので今度からその辺も考慮して進めてきたいと思います。今回はそんなところから見直してたら時間がいくらあっても足らない…ある程度音源にお金をかけてうまいことプログラムに追従する製品を揃えるのは悪いことではないのかもしれないと感じました。

とりあえず悔しいから引き続き追い込んできます。

追記
こういう時、YAMAHAの防音室レンタルが気になって仕方がなくなる。

音楽に実はプロもアマも関係ないという事実

音楽って好きにやったらいかんのかね?
だれもそんなこと聞いてないだろ?ってことをアドバイスしてるつもりなのかなんなのかわからん事を言ってる輩をよく見ます。自分の音楽観や理論を持ち出して一方的に押し付けてくる奴はほんとにしょうもない。求められたときにするのがアドバイスだが、求められたないのに語り始めるのはただの押し付けでしかない。

音楽やってて~~はだめだ?~~をしなきゃいけない?とか言ってるバカ。
こういうのがいるから一般的な音楽に対しての印象として作曲ないし音楽やるのってなんか敷居が高いな~、怖いな~(なぜかINGW風)って思うんじゃないの。
どういう風にやろうが各々の自由だし成長したいと思う人間は自ら気づいていくものなのだからわざわざありがたいお言葉をいただく必要なんてございません。

どんなに素晴らしい音楽を作ってても人間がだめなようじゃだめじゃん。
ほんとにしょうもない。今自分がいる立っているその場所が指す意味は自分の音楽が世間に受け入れられたか、はたまた受け入れられなかったか、たったそれだけ。

突如襲来!ネット界の害虫

朝からちょっと思うことがあり、書きます。

認知外からの攻撃から受けるストレスについて。
ネットって顔が見えなくて匿名性も高いせいか発言に責任が伴ってない事が多く、何の気なしに人を傷つけたりする事をいってしまう人が非常に多い。
ことSNS、放送サービス関連ではよく散見されています。

面識のない人間からいいことわるいことひっくるめ、あれやこれやと言われるわけです。
良いことだけなら担ぎ上げられてるわけなので非常に愉快なものですけど悪いこともあるわけですよ。悪いことって友人・知人から言われるならまだしも、誰かもわからん奴にいわれるとそれだけでストレスだよね。日本人の性質なのか直接対面しているときにはズバッとしたことは言わない傾向があり、その反動かネットでは平気で傷つけられるようなことを言うカスが多い。
あとは、発言した当人は別段悪いと思っていなくても受け取った側で不快に思う、ということが一番多いかなぁ…

私も昔は現実だと極度のコミュ障(というか人間嫌い)でネットではわりと幅を利かせてた(?)タイプの人間だったので割とネット上での繋がりなんかは広げようとかよく考えてたものなんですけど、最近は前述したような理由で、ネット先で交友関係を持つ場合は企画を通じて知り合う、だとか友人の紹介で知り合う。というようなケース以外ではまるっきり遮断してます。
一例ではあるけどtwitterのフォローフォロワーの関係は友達でもなんでもなく、名刺の交換以下のやりとりだと思う。何度かお会いしてお話してその人の人となりというものが感じられるようになってきてやっと関りが持てたかな、と感じてます。
例外はなく、多くの人にとって害のある存在でない場合であっても、どんな人なのかもわからない間は自分にとっての害に代わるともわからないわけなので極力干渉は避けるよう意識してます。

友達でも何でもない関係だから失礼なことを言っていい。ということじゃないよぉ~
友達ではないからこそ適切な距離感が大事ってことね。
こうやって記事を書くのも、ただひとしきり思ったことを書き綴ってそれ自体に満足するのでなく、たまに見返してやると自己啓発ということではないけど、自分も誰かにとっての害になっていないか?と一度冷静になることができるので割と自分の為にもなっていたり。

ブログページ

ブログページが巻物状態になっていてまずい…
早いとこどうにかしないと見づらいことこの上ない。

今現在はブログの記事反映部分だけは動的な処理がされているものの
表示件数だったりアーカイブ、カテゴリや期間検索機能は
実装してないので、単純に投稿した記事が縦積みになっていく状態。
誰が見るともわからないブログでも自分以外のだれかが見れる環境にあるなら
ユーザビリティは無視できないところ。

GWにやることリストに追加します。

こういうことしはじめちゃうとダメ

レコと作編曲をほぼ同時に進行させてしまったからかコピペ作業になってる部分があってよくない。
同じ内容だからと言ってコピペするのと同じ内容を演奏・録音するのとではワケが違う。
わかってはいるつもりだったがどうもそのあたりを勘違いしてしまっていた。
納期的な都合から焦ってくるといつもそう。

実際コピペ祭りで進行してた曲を昨夜、仮ミックスしてた時に何度も聞いた印象では、モチーフはしっかりしてるのにどうもダレるなぁという感じだったのでこのまま無駄な音を足すだとか、複雑化させるようなことをやってたらいつまでも納得いく出来にはならないと感じた。作曲・編曲を進めてるとどうも業務的、作業的にやってしまうことが多いので一度手を止め、表現したいものがなにかをしっかり思い返してから再度自分の曲と向き合うべきだなぁ。と痛感。

コピペ作業は制作工程における簡略化に他ならないので表現の技法としては不適切に思った。ということ。

他人の作品は他人のことだしどういう形で作ろうが知ったこっちゃないが、自分の作品には必ず意味・意図をもたせるようにと意識だけはしている。それを音だけでどこまで表現できるか、というのが単純な経験、技術のなせるところだと思うので、技術を向上させる練習であっても、できる限り意味のない曲は作るべきではないな、と思う。

作曲は割と好きで割合的には得意といってもいいと思うんだけど編曲が苦手な所為かこういうことでよく一喜一憂します。
これは経験値が圧倒的に足りてないだけだけど。(地道な努力って大事だよね。
以上、自分向け反省(自己啓発)記事になりました。
それでは引き続き締め切りギリギリまでの悪あがきをしますのでこれにて。